人医療では、抗がん剤治療など一部の治療で、事前に遺伝子パネル検査を実施するなど、オーダーメイド医療が実現しつつあります。獣医療においても、犬種ごとに多い遺伝病の研究が進み、ブリーダー向けに遺伝性疾患の検査製品が販売されるなど、個別化医療に向けた取り組みが進んでいます。
さらに、治療効果に影響する要素の一つとして、抗がん剤の感受性検査などのサービスも登場し、注目を集めています。こうした動きの中で、近年では 犬種ごとの薬物代謝機能の違い についても研究が進んでいます。
薬物の代謝には、シトクロムP450薬物代謝酵素(CYP)が非常に重要ですが、その基質特異性や発現には種間差が大きく、ヒトのデータをそのまま犬に適用することはできません。現状、投薬の際に薬物代謝酵素の発現まで考慮したガイドラインの整備は進んでいませんが、今後研究が進めば、犬種ごとにより適切な投薬指針が確立される可能性があります。
以前のコラムでは、犬種による食物の消化時間の差などについてご紹介しました(参考:中毒診療に活かす!犬種差のある消化器のパラメータ)。今回は、日々の薬物投与や中毒診療において、理解しておくべき犬種ごとの薬物代謝機能の違いなどについてお話します。
目次
グレーハウンドは体脂肪率が低いため、脂溶性薬物の分布容積(Vd)が小さく、血中濃度が高くなりやすい犬種です。その結果、グレーハウンドでは脂溶性薬物の毒性リスクが高まります。
グレーハウンドではCYP2B11の働きが弱く、この酵素で分解される麻酔薬(プロポフォール、チオペンタールなど)の体内処理が遅延し、作用が長引いたり副作用が出やすくなったりします。麻酔をおこなう際は、他の犬種に比べて用量を少なめに投与し、注意深いモニタリングが必要になります。
さらに、グレーハウンドではCYP2B11の活性低下だけでなく、この酵素の働きを助ける補助タンパク質(P450オキシドレダクターゼ、POR)にも特定の遺伝子変異(H3およびH4)が多く見られ、これが薬物代謝の遅延に寄与しています。
興味深いことに、同じグレーハウンドでもCYP2B11の活性低下に関連する遺伝子変異(CYP2B11-H3 allele frequencies)は、レースに特化したNational Greyhound Association (NGA)系では少なく(17%)、ドッグショー(コンフォメーション)に用いるAmerican Kennel Club (AKC)系では高く(59%)なっており、犬種内でも系統により違いが見られます。
ちなみに、グレーハウンドの原産地はイギリスで、イングリッシュ・グレーハウンドと呼ばれることもあります。日本でよく見られるイタリアン・グレーハウンドとは別の犬種です。グレーハウンドもイタリアン・グレーハウンドも同じサイトハウンドに属しているので、イタリアイン・グレーハウンドにも同様の遺伝子変異とCYP2B11の活性低下がある可能性はありますが、現在のところそれを実証した研究はありません。
ビーグル犬は実験犬とし広く利用されているため、他の犬種より多くの遺伝的特徴が明らかになっています。
ビーグルではCYP1A2に遺伝的多型が認められており、CYP1A2の活性に遺伝的な変異があり酵素の発現に影響します。その結果、低代謝型(poor metabolizers)と高代謝型(extensive metabolizers)の個体が存在します。犬において、CYP1A2を基質とする物質にはカフェイン、フェナセチン、テオフィリンなどがあります。このため、低代謝型のビーグルの場合はチョコレートに含まれるテオフィリンやカフェインの代謝が遅延し、中毒症状が強く発現するリスクがあります。
ただし、CYP1A2欠損犬の肝ミクロソームを用いた解析では、CYP1A2を基質とするフェナセチンの代謝が遅くなったものの、カフェインでは影響が見られませんでした。これは、犬ではCYP1A2以外の酵素でもカフェインが代謝している可能性があることを示唆しています。
結論としては、ビーグルの中には理論的には症状が強く出る可能性がある個体がいるものの、違う酵素でも代謝できるため、極端に他の犬と異なる症状が現れる可能性は現段階では低いと考えられます。
ビーグルではCYP2D15をコードする遺伝子にも顕著な遺伝学的変異が存在します(ヒトのCYP2D6に相当)。コキシブ系のNSAIDsの一つであるセレコキシブは、主にCYP2D15によって代謝されます。ビーグルでは、セレコキシブの薬物代謝に関わるCYP 2D15の遺伝学的変異が認められています。試験に用いられたビーグルの約50%が高代謝型(extensive metabolizers)であり、消失半減期は1.5~2時間でした。
一方、低代謝型(poor metabolizers)は消失半減期が約5時間でした。性差は認められなかったものの、低代謝型の個体では薬物が体内に長く留まるため、有害事象発現のリスクが高くなります。小動物診療で汎用されるフィロコキシブやロベナコキシブなど他のコキシブ系の薬剤を一定期間使用する際は、胃腸障害や腎毒性のモニタリングが重要と言えるでしょう。
チオプリンS-メチルトランスフェラーゼ(TPMT)は、チオプリン系薬剤の代謝において重要な役割を果たす酵素です。犬の赤血球のTPMT活性には個体差があり、低活性の犬ではアザチオプリンなどの薬剤の蓄積による骨髄抑制や肝毒性のリスクが高まる可能性があります。
コッカー・スパニエルの赤血球は、他の犬種と比較するとTPMT活性が低い傾向があります。しかし、実際の薬剤を用いて効果効能を確かめた試験ではないため、実際の投与量の変更をすべきかまでは検討されていません。
TPMT低活性型かどうかの遺伝子型や酵素活性を測定する手法は存在します。しかし、全体的にはTPMT低活性型の頻度が低いため、これらの手法は研究目的などに限られ、まだ商業的に利用できるサービスとして一般的ではなく、知見の集積が必要です。
TPMTが高活性の犬では、理論的には薬剤が速く代謝されてしまい、薬効が十分に得られない可能性があります。ラブラドール・レトリーバーはTPMT活性が他の犬種より高い傾向にありますが、具体的にアザチオプリンなどの用量の変更(増量)をする必要があるかは、まだ明かになっていません。
実際には薬物代謝に関わる酵素には犬種間、さらには個体間でも違いが見られます。遺伝子変異や酵素活性を個別に測定するオーダーメイド医療が望ましいのかもしれませんが、一般化するにはまだまだデータの蓄積が必要な段階です。人医療でもそこまで到達できている分野は多くありません。今後、個別の症例報告が蓄積され、実験データと臨床知見が融合することで、より実践的なエビデンスが確立されていくでしょう。
現在、犬種ごとの薬物代謝データは限定的であり、個別化医療の実現にはまだ課題が多く残されています。
しかし、獣医師が日々の診療で得た情報を報告・共有することで、将来的にはより精密な投薬指針が確立されるでしょう。特に、特定の薬剤での有害事象や治療反応のデータは重要です。
今後、私たち一人ひとりの取り組みが、犬のより安全で効果的な治療へとつながることを期待しています。
■参考
MARTINEZ, Stephanie E., et al. Pharmacogenomics of poor drug metabolism in Greyhounds: Cytochrome P450 (CYP) 2B11 genetic variation, breed distribution, and functional characterization. Scientific Reports, 2020, 10.1: 69.
FLEISCHER, Steven, et al. Pharmacogenetic and metabolic differences between dog breeds: their impact on canine medicine and the use of the dog as a preclinical animal model. The AAPS journal, 2008, 10: 110-119.
COURT, Michael H. Canine cytochrome P450 (CYP) pharmacogenetics. The Veterinary Clinics of North America. Small Animal Practice, 2013, 43.5: 1027.
PAULSON, Susan K., et al. Evidence for polymorphism in the canine metabolism of the cyclooxygenase 2 inhibitor, celecoxib. Drug metabolism and Disposition, 1999, 27.10: 1133-1142.
SALAVAGGIONE, Oreste E., et al. Canine red blood cell thiopurine S-methyltransferase: companion animal pharmacogenetics. Pharmacogenetics and Genomics, 2002, 12.9: 713-724.
日本精神神経学会, ガイドライン アザチオプリン, https://www.neurology-jp.org/guidelinem/msgl/sinkei_msgl_2010_07.pdf
獣医師
福地可奈
2014年酪農学園大学獣医学部卒業したのち、東京都の動物病院にて4年間勤務し犬や猫を中心とした診療業務に従事しました。
2024年3月末、東邦大学大学院医学部博士課程の満期単位取得。学位取得要件である博士論文の提出を目指して活動しております。現在は、製薬関連企業に勤務しつつ、非常勤でマイクロチップ装着の業務も開始し、臨床に復帰する準備も徐々に進めています。
獣医師や一般の飼い主様に向けた動物の中毒情報を発信するなど、臨床とは異なったアプローチで獣医療に貢献することを目標に活動しています。
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