7月 31, 2024
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犬と猫の中毒症例における「脂肪乳剤」の治療効果について

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静脈脂肪乳剤(ILE、intravenous lipid emulsion)は、脂肪をカロリー源として静脈内に投与するための栄養補給目的で当初開発されました。

その後、プロポフォールなどの乳化剤としても用いられるほか、局所麻酔薬など脂溶性の高い薬剤に対する中毒の治療法として見出され、人医療だけでなく獣医療の中毒治療としても、近年注目されています。


 


目次


 

脂肪乳剤の作用機序

脂肪乳剤に薬剤が取り込まれることで、血中濃度が低下する現象(lipid sink) があり、これが最初に想定された機序です。しかし、自殺を目的に、クロルプロマジンとミルタザピンを服用し、心肺停止に陥った人症例では、脂肪乳剤の投与2分後に心拍再開した  という報告もあります。このような迅速な反応は、中毒物質の血中濃度が低下するには一定の時間がかかるlipid sink理論では説明しにくく、多様なメカニズムが関与していることが示唆されています。

lipid sink以外の作用機序として、脂肪乳剤には、心血管系を保護する効果もあることが示されています。心筋の収縮に必要なエネルギーの7割は、脂肪酸の酸化によって生み出されています。脂肪乳剤の投与によって、心筋内の脂肪酸が増加し、心機能の改善に繋がっていると考えられ、この現象はmetabolic effectやlipid fluxと呼ばれています。局所麻酔薬は、脂肪酸の細胞内への移動や酸化を抑制する働きがあるとされ、局所麻酔の過剰投与による中毒によって低下した心機能が、脂肪乳剤の投与によって改善している可能性があります。

ブピバカインにより心筋抑制のかかったラットの分離心臓を用いた実験では、lipid sinkを起こさない低濃度(血中濃度を下げるには500μL/mLの投与が必要なところ、5μL/mLと9μL/mL  の投与で検証した)の脂肪乳剤の投与でも収縮力と収縮期圧が改善しており、直接的な強心効果があることが証明されています。

 

 

小動物臨床での脂肪乳剤の使用状況

小動物臨床においても、ある種の中毒で脂肪乳剤が用いられる場合が増えてきました。ペルメトリン、ピレスリン、イベルメクチン、モキシデクチン、ブピバカイン、リドカインなどの局所麻酔薬、プロプラノロールなどβ遮断薬のほかマリファナ、フェノバルビタール、イブプロフェンなど新油性の高い薬剤に対して用いられています。

 

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 犬と猫の中毒症例に対する脂肪乳剤の治療効果は?

犬と猫の中毒82症例に対する後ろ向き研究が行われ、脂肪乳剤の有害事象などについて評価が行われました。表1は、静脈内にボーラス2ml/kg、20%脂肪乳剤を60分間0.25ml/kg/minで投与後、毎時間の身体検査と各種パラメータ、入院した際の状況 を記録したものです。

 

表1 犬と猫の中毒症例に対する脂肪乳剤使用症例のデータ (中央値、幅)

 

犬(n=65)

猫(n=17)

年齢(才)

 2(0.2-13.0) 

3.0(0.3-14.0)

 体重(㎏) 

 21.7(1.3-54.0)

4.0(1.8-6.2)

摂取から症状発現までの時間(時間)

3.0(0.5-7.0)

6.0(1.0-8.0)

入院期間(時間)

17(5-56)

25(6-63)

受診までの時間(時間)

6(1-10)

8(1-24)

死亡(件)

0/65

1/17

 

 

脂肪乳剤(ILE)投与後の有害事象について

脂肪乳剤投与後、 64頭の犬猫(78% 、64/82頭)において、86件 の有害事象が観察されました。発症までの時間は、脂肪乳剤の投与2時間の間に集中してみられました(幅:0.5~4.0時間)。

59頭  では、脂肪乳剤の投与中止後、3時間以内に意識レベルの低下が見られました。意識レベルの低下は無気力、混迷、昏睡の3つの段階に分けられました。嘔吐は、8頭で観察され、15頭 で徐脈が観察されました。

表2に、主にみられた有害事象を示しています。これらは、ILE投与して観察期間中にみられた有害事象を全て記載しているため、ILEと関係のない事象も含まれる可能性もありますが、論文中では38頭の犬と、6頭の猫において発生した有害事象はILEと関連している可能性が高いと分析されています。
また、投与3時間後に血清トリグリセリド濃度が約10倍の増加が見られた症例もいました(p<0.001)。血清トリグリセリドの増加は約半数の症例で認められました。

そのほか、投与8~12時間後に呼吸数の減少が観察されました。
観察されたすべての有害事象は33時間以内に回復し、一時的なものであることが示されています。

 

表2 ILE投与後の主な有害事象

有害事象を示した犬猫 64頭(有害事象を示さなかった犬猫 18頭) 

有害事象

n数

意識レベルの低下(合計)

59

 

意識レベルの低下
(無気力 Apathy)

15

意識レベルの低下
(混迷 Stupor)

23

意識レベルの低下
(昏睡 Coma)

21

嘔吐

8

流涎

3

心室期外収縮

1

徐脈

15

有害事象 計

86

 

 

まとめ

脂肪乳剤を犬猫の中毒に投与した例に関して、有害事象を起こした症例では全例が回復したとありました。意識レベルの低下については、程度は様々ですが、発生が多い有害事象の一つであり、脂肪乳剤の治療をする際は、飼い主さんにも事前に伝えておくことがミスコミュニケーションを防ぐと思われます。また、血清トリグリセリドの高値を示した症例は半数以上見られました。高脂血症は膵炎のリスク因子ともなることが知られています。

中毒の重篤度や、個体の既往症などを総合的に勘案して治療方針を決定し、脂肪乳剤を投与する際は、有害事象が起きる可能性などがあること、治療のメリットが有害事象のデメリットを上回ることなど、飼い主に十分インフォームする必要があると思われます。

 

 

参考

・Kiwitz D, Markert C, Dörfelt R. Clinical effects and adverse effects of intravenous lipid emulsion treatment in dogs and cats with suspected poisoning. PLoS One. 2024 May 29;19(5):e0298828. doi: 10.1371/journal.pone.0298828. PMID: 38809887; PMCID: PMC11135785.

・Stehr SN, Ziegeler JC, Pexa A, Oertel R, Deussen A, Koch T, Hübler M. The effects of lipid infusion on myocardial function and bioenergetics in l-bupivacaine toxicity in the isolated rat heart. Anesth Analg. 2007 Jan;104(1):186-92. doi: 10.1213/01.ane.0000248220.01320.58. PMID: 17179268.

・大西光雄. 急性中毒治療における脂肪乳剤の適応. 外科と代謝・栄養, 2017, 51.2: 111-119. , https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssmn/51/2/51_111/_pdf/-char/ja

・GO-VET 2017年11月号異物・誤食,, https://vetswan.s3.amazonaws.com/img/web/items/859/859063samplepage.pdf 犬猫容量

 

 

 

監修者プロフィール

獣医師 福地可奈先生のプロフィール写真

獣医師
福地可奈

2014年酪農学園大学獣医学部卒業したのち、東京都の動物病院にて4年間勤務し犬や猫を中心とした診療業務に従事しました。
2024年3月末、東邦大学大学院医学部博士課程の単位取得。春からは製薬企業に勤務しつつ、学位取得要件である博士論文の提出を目指して活動しております。
獣医師や一般の飼い主様に向けた動物の中毒情報を発信するなど、臨床とは異なったアプローチで獣医療に貢献することを目標に活動しています。

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